四人 と ひとり

e0093537_1422430.jpg ナオキ君とタイチ君とイサム君とヨシフミ君は、三年生。 おなじ小学校に行っていて、近所のなかよし四人組だ。 いつも四人で、野球をしたり、サッカーをしたり、元気に遊んでいる。

 でも、きょうは雨。
 雨の日でも外で遊びたいと思うのは、ナオキ君。 イサム君は、雨にぬれるとカゼをひくから、外で遊ぶのはやめたほうがいいと思っている。 ヨシフミ君は、お天気の日でも家の中が大好き。 もし雨の中で遊んだら、そして、ずぶぬれになって帰ったら、お母さんにしかられるからいやだと思っているのはタイチ君。 お母さんがこわいのは、タイチ君だけじゃない。 だからけっきょく、雨の降っている日に外で遊ぼうなどと言い出す子はいない。 雨の日は、だれかの家に集まって、昆虫図鑑を見たり、絵を描いたり、テレビゲームをしたりで遊ぶことになる。

 最近は、こどもたちの間でミニヨンクと呼ばれる模型自動車で遊ぶことがはやっている。 自分で組み立てて好きな色にぬって作りあげるということと、とてつもなく速く走るというのがたまらないみりょくなのである。 五年生や六年生、中学生の間で大変なブームになっているのだが、三年生の四人も夢中になっている。 でも、家の中で走らせればすぐに壁やいすにぶつかってしまうし、外で走らせればすごいスピードでどこまで行ってしまうか心配だし、みぞに落ちたり、コンクリートの壁にぶつかってこわれてしまう。 模型屋さんの店先にコースがあるけれど、お兄さんたちにいつもせんりょうされていて、なかなか走らせることができないのだ。 だから、四人ともそのミニヨンクを思い切り走らせたことがない。 きょうは、みんながそれぞれのじまんのミニヨンクをもって、イサム君の家に集まることになった。

 イサム君のお兄ちゃんの部屋に、ミニヨンクを走らせるコースがあると聞いていたのだが、それを知っているのはイサム君だけだった。 しかし 見たこともない。 というのも、「コースを使わせてよ」「コースを見せてよ」といくらたのんでも、お兄ちゃんは、いつも「ダメ」の一言だったのだ。
 だから、みんながイサム君の家に集まった時、お兄ちゃんが「つかっていいよ」と言ってくれた時は、大変なさわぎになった。 こうふんのあまり、ナオキ君は、でんぐりがえしをして柱に足をぶつけてしまったし、タイチ君は、ぴょんぴょん飛び回ってひっくりかえっているナオキ君の体の上に乗ってしまったし、ヨシフミ君は、右手を高く上げインディアン?のようにきせいを上げた。 イサム君は、目を丸くしてお兄ちゃんに向かって「ほんと。ほんと・・・」と大声で連発するありさまだ。
 いつもなら「ちょっと静かにしなさいよ」というイサム君のお母さんも、このあまりの大さわぎに声も出せないでいた。 声が出せなかったのはもうひとり、タイチ君の弟のケンタ君。 ケンタ君は、イサム君の家がこわれてしまうのじゃないかと心配しながら、ただキョトンと立ちすくんでいるだけだった。 そう、きょうは、なかよし四人・たす・ひとりにケンタ君が参加していたのだ。
 みんなの喜ぶ姿を見て、イサム君のお兄ちゃんもすごく良いことをした気分になってうれしくなった。 お兄ちゃんの部屋をせんりょうした四人のさわぎはものすごいもので、その声のかたまりは火山の噴火を思わせるほどだった。 お兄ちゃんは、「すごいなあ」と食堂のいすでコーラを飲みながらニコニコしていたが、やがて大きくため息をついてから台所に立っているお母さんのそばに行って、あげたてのドーナッツを一つ手にとると、「アチ、アチ、アチチチ」と言いながら、どこかに行ってしまった。
 「さあおやつですよー!」
 「ハーイ!」「ハーイ!」
 「みんな手を洗っていらっしゃい!」
 「ハーイ」「ハーイ」「ハイ」
 「いつもそんなふうに元気な返事ができるといいわねえ」
 四人・たす・ひとりは、返事と同時に先をあらそって洗面所に走って行ったので、イサム君のお母さんの最後の言葉は、だれにも聞こえなかった。 みんな、アッというまに食堂のテーブルに集まった。
 たす・ひとりのケンタ君は、みんなの最後になってお兄ちゃんのタイチ君の横にすわったが、それに気がついたのは、イサム君のお母さんだけだった。
 テーブルの上の大きなお皿には、イサム君のお母さんが作ったドーナッツが山のように積まれていた。 大きいのや小さいのや、細長いのや丸いのや、同じ形や大きさのものは一つもなかったので、またおおさわぎのじゃんけんが始まった。 じゃんけんをして、勝った順番に好きなドーナッツを食べるというルールがいやだなんていう子はいなかったし、だれがそんなことを言いだしたのかなんてことも、ついきゅうする子はいなかった。
 二つ目のドーナッツを食べ終って三つ目になった時、ケンタ君が短いフランクフルトソーセージのようなドーナッツを最後に手にするまで、みんな待っていた。 そして、みんながいっせいに三つ目のドーナッツにかぶりついて、一瞬静かになった時だった。
 「車は、なんで走るんだ?」ヨシフミ君は、みんなが静かになるのを待っていたかのように言い出した。 いつもヨシフミ君は、「なぜ?」とか「なんだろう?」とかとつぜん言い出すのだ。 きょうは、「なんで?」であった。
 「車は、ガソリンで走るに決ってるよ」最初に応えたのは、なんでも最初が好きなナオキ君であった。ナオキ君は、かならず「決ってるよ」と言う。
 「そうじゃないよ。タイヤで走るんだよ」「決ってるよ」の大声の後、落ち着いた調子で「そうじゃないよ」と言うのは、これも決ってイサム君である。 「決ってるよ」「そうじゃないよ」は、ナオキ君とイサム君のいつもの合言葉なのだ。
 「決ってるよ。ガソリン」さっきより大きな声だった。
 「そうじゃないよ。タイヤだよ」ナオキ君より大きな声だった。
 「ちがうよ。車は、エンジンで走るんだよ」タイチ君が顔を真っ赤にして、ありったけの声をはり上げた。 タイチ君は、ナオキ君が「決ってるよ」と言ってイサム君が「そうじゃないよ」と言った後、決って二人よりもっともっと大きな声で「ちがうよ」と言う。
 「けっきょく、どれがほんとなんだよ」「けっきょく」のヨシフミ君が、天井に向けて両手を広げ、ちょっと首をかしげて言うと、みんなちょっと静かになる。 これも、いつものパターンである。
 みんな、食べかけの三つ目のドーナッツを思い出したように口にした。
 「決ってるよ」コーラを一口飲むと、小さな声でナオキ君が言った。
 「タイヤだよ・・・」ナオキ君よりもっと小さな声でイサム君が言った。 そして、コーラを一口飲んだ。
 「ちがうよ、ちがうよ、ちがうよ・・・」タイチ君は何度もそう言ったが、三度目のちがうよの声は、となりにすわっていたケンタ君にも聞こえなかった。 お兄ちゃんたちの話しをキョロキョロしながら聞いていたケンタ君だけは、三つ目のフランクフルトソーセージのようなドーナッツを一口食べただけ、コーラも飲んでいなかった。
 四人が、いっせいに二口目のコーラを飲んだ瞬間だった。
 「ボクしってるよ。ねえボクしってる」とつぜんの大声の主は、ケンタ君であった。 ケンタ君のこんな大声は初めてだったので、みんなコーラを口から吹き出しそうになった。
 「クルマはねえ、はしらないよ」「クルマはねえ、おとうさんがうんてんしなきゃはしらないよ」
 
 きょうの雨の日みんなは、ちょっとおりこうさんになったような気分になった。 車が走るためには、色々なものが必要なんだということがわかったのだ。 そしてこの日から、生田のなかよし四人組は、ケンタ君を加えてなかよし五人組になった。           
                   1991 JUN.S
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# by jam909jam | 2016-09-19 14:02 | ★ショートショート | Comments(0)

オリジナルとスタンダード

  ボクは 高校卒業後 留学が決まっていて 普通に進学しなかった。 しかし 事情があって その留学が無いものとなり途方に暮れて その後どうするか考えなきゃならなかった。 友人は皆進学し いわゆる浪人でもなく ただただ うろうろするばかりだった。 
  そんな時 名古屋の繁華街・栄町地下街にあった画材屋さんが 自社の持つ画廊で展覧会をしてみないかと声をかけてくれた。 急きょ空きになってしまった会場をとに角埋めたい・・・といったことで 制作時間もなかった。「どうしたらよいか?」考えた末 3×6のペニヤを10枚も並べれば何とかなる・・・と 親に相談し ベニヤを購入(名古屋は ベニヤ生産の本拠地でもある)。 ただのベニヤ10枚を庭に並べ どうしたものか? と頭を抱えた(笑) どうしてそうなったのか 覚えていないが 白い石膏を塗りたくり そこに大きな墨流し模様を作りたいと思った。 「偶然に出来る美しさ」に頼るしかなかった。 しかし それも不可能と知り 思い付いたのは 石膏が渇く前に油性のペンキを流すというものだった。 分離しながら出来る模様に感激した。「これだ!!」夢中で10枚を作った。 どうやって運んだのかも覚えていない。 何点か 展示会場で石膏が崩れ落ちてしまったが その崩れた感じも素敵で とても満足だった。 崩れ落ちた石膏は 会場にお願いしてフロアーにそのまま いい空間だった(自己満)
  それがきっかけになって 画材屋さんに可愛がってもらった。 後日 その画材屋さんの紹介で 名古屋駅前のデパートのカバン売り場に机を置き 当時売り出されたコンパクトに収納持ち歩きが出来る布製のカバンの売り出しの一環として お客さまの要望に応えその場でバックに絵を描くというアルバイトをすることになった。 道具は 当時出来たばかりのカラーマジックだった。 スケッチブックに 自分なりにオリジナルの絵をいくつか描いて見本とした。 絵を描いてギャラをいただいた初めての経験だった。 若いってことは 怖いもの知らず 無茶をするものだ。 しかし今考えると よくまあそんな若造に デパートもカバンメーカーも大切な仕事をさせたものだと 驚く。
  次々と 結構な数を描いた。 当時のお客さんは 幸い優しい人が多かった。 ほとんどの人が喜んでくれた。 しかし 今もはっきり覚えている 焦り・上気し・体がこわばり・手が震え 仕上がりに頭を下げた2件の事がある。
  それは 上品なおばちゃまだった。 「パリの風景を描いてくれる?」「え!?パリですか?」「そう どこでもいいわよパリなら」「すみません ボクはパリを知らないので 何か他のものではダメでしょうか?」「ダメ! パリの風景がいいの!」「資料を持ってきますので お時間いただけますか?」「私急いでるの すぐに描いて~!」「凱旋門か エッフェル塔とか・・・」「そう それでいいわ」何となく 写真を見 絵を見ているエッフェル塔の風景 それなら描けるかもしれないと思って描き始めたが 描きながら自分のイメージとも違う 描けない・・・焦った。 でも 手は動いていて どんどんイメージと異なる風景になって行った。 「何描いてるの? それエッフェル塔じゃないわね~」「すみません。ボクもそう思います。やはり描けません」「あはははは 良いわよ~ エッフェル塔って言わなきゃいいんだから あはははは」優しくも 意地悪なおばちゃまだった。
  またある時 小さな子ども連れのお母さんが ニコニコやってきた。 「お願いします。何を描いていただこうかしら」と子どもを覗きこむ「ドナルド~~!」「ドナルドダック? 好きねぇ~ ジャお願いしようね。お願いできますか?」「はい!」ボクもニッコリ元気に応えた。 さて描こうとしたが これがまた どうにもドナルドに程遠い。 イメージはあり 頭にあって 当然描けると思っていた。 しかし ・・・。 子どもが相手 これじゃダメだと思ってカバン売り場の店員を呼んだ「本売り場に行って ディズニーの本を借りて来てよ 急いでよ~!」お客には 正直に言った「描けると思ったけど ドナルドのしっかりした形が解らなくなってしまって 今 本を借りてきますので少々お待ち下さい。描き直しますから」「はい 結構ですよ お待ちします。じゃ ちょっと他を歩いてきます。よろしくお願いしますね」 ホッとした。 しかし「ディズニーの本が無いんです」と店員が戻ってきた。「うっそ~ 無いことは無いだろう」「それが 無いんです」(1960年頃 当時はそんなに無かったのかもしれない)ドナルドを思い出しながら 何度もスケッチブックに描いた。 でも どうしてもドナルドにはならなかった。 涙が出そうになった。 がっかりする子どもの顔が浮かんだ。 お母さんが帰ってきた。 「すみません ドナルドの本が見つからなくて どうにも・・・」「あらぁ~ そうなの~~ ○○ちゃんドナルドがいないんだって 何でもいいわね ね さっき描かれたあれでいいわ」「えっ! あれでいいんですか? だって どう見てもドナルドじゃないし・・・」「いいのいいの ○○ちゃん 可愛いわね これでいいわね」そう言って素早くバックを受け取り「お世話になりました。ありがとうございました。頑張ってね!」とニコニコ立ち去ったのだ。 あの時 ニコリともせず何とも言えない顔を残したあの子に 未だに申し訳ない気持ちだ。


先日 あるTV番組で著名なミュージシャンが笑いながらこう言った。「オリジナル曲はいいよ~ 間違っても聴いてる人に解らない」
オリジナル曲もよいけれど ふっと誰もが知るスタンダードな名曲を個性的にアレンジして聴かせてくれた時 ニンマリ嬉しくなる。
クラシックの人が 何かの時 ポロッとPOPな曲を聴かせてくれる。
JAZZマンが しっとりとクラシックの名曲を演ずる。
Rockなバンドが 突然「スタンド・バイ・ミー」を真面目に演奏し唄う。
誰もが知るものをいつでもどこでも出来る ってのはプロの武器でもある。
著名なミュージシャンが 路上ライブに遭遇し 突然加わって普段の姿と異なる姿を見せるYouTube動画は 嬉しく楽しい。

*写真は借り物
 
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# by jam909jam | 2016-06-30 13:18 | ◆独り言 | Comments(0)

音楽はいいね John Coltrane/Ballads(1962)

新宿・アルタの裏の細い路地。
レストラン・アカシアとジャズ・バーのアカシアがあった。
ロールキャベツで有名だったレストランはご主人 猫のいる細長いカウンターのジャズバーは奥さんが・・・。
そして バーのカウンター後ろに小窓があって レストランと繋がっていた。
おじちゃん おばちゃんと呼んでいたが 当時すでに二人とも結構な年配だった。(1963年頃)
バーに顔を出すと
「コーラね」
お酒を飲まない私に おばちゃんがつっけんどんに言い 
「何かかける?」ネコを抱きながら これまた ぶっきらぼうに言う。
「何でもいいよ おばちゃんの聴きたいので・・・」下手なリクエストをすると叱られそうで そう言うしかなかった。
しばらくすると「コーヒー淹れてあげようか?」
「食べる?」と よくチョコレートやバナナ 季節によってはミカンやリンゴや柿を出してくれた。

「お腹すいた~」と言うと
「ロールキャベツ頼む?」
カウンターの後ろの小窓から出てきた。
たまに「隣で食べといで~!」だったが あれは何だったのか?
・・・ 懐かしい。。。
(レストランは今もあり ロールキャベツも健在とのこと)
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当時 クラシックの「名曲喫茶」シャンソンの「シャンソン喫茶」ジャズの「ジャズ喫茶」などレコードを聴かせる店が多かったのは その背景にレコードそのものが高価だったと言うことがある。もちろん再生機器も高価だった。(1960年初期 コーヒーが¥70 アパートが1畳約¥1,000 学生の親からの仕送りが¥12,000~15,000位 LP輸入盤¥3,000~3,800位だった)
音の良し悪しを問わなければ You Tubeでほとんど聴くことができる現代は パラダイスだ。

コルトレーンをよく聴いたのは
BARアカシアの2階にあったジャズ喫茶「DIG」
よくリクエストされたのはアルバム「Ole」だったように記憶する。
私は この盤「バラード」が好きだった。

この盤には 多くの思い出がある。
若い頃 ぼんやり何も話さないで女の子と夜を過ごす際には ほとんどこれが私の定番だった。
キャッチコピーを考える時 行き詰まると 決まってこれをかけた。
夜中の高速道路を 独り走る時も これだった。
独り 由比ガ浜や佐島マリーナに走り ぼんやり海を眺め 船の明かりを見ながら聴くのもこれ。
ぬるいお湯につかり ゆっくり身体を休める時も 扉を開け放し 大音量でこれ。
子どもを寝かせるお休み音楽にも かけることが多かった。

CD時代になってから 当然のように買い求めたが
もちろん A・B面もなく LPにはない付録の曲も入って 2枚組になっていた。
LPの曲構成も好きだったので 聴くCDには付録曲などを入れていない。
もう 以前ほどそんなに思い入れもないが なんとなくいつも車に積んでいる。
ちょっと疲れた時など 青山・絵画館前の銀杏並木通りに車を止め シートを倒して聴くこともあり
夜 柿生の「ふるさと村」に車を走らせ 街灯に照らされる木々をぼんやり眺めながら聴くこともある。

自身を眺め いろいろに思いを馳せ 身体を休める ・・・ そんなCDになっている。

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# by jam909jam | 2016-01-04 03:32 | ◆独り言 | Comments(0)

コーヒーと私 01

私の家は 同居していた母方の祖父がお茶好きだったことと(この人は 和菓子を趣味で作る人で お菓子を食べるためにお茶を飲んでいた とも言える)近くにいた「おじさま」と呼んでいた遠縁の親戚にあたる人が華道と茶道の師匠だったこともあって(私は小さい頃からこの人が好きで 毎日のように顔を出していた) お茶にうるさい我が家だった。家に行くと「先ずは」と縁側に座り お煎茶 お抹茶とお菓子 庭を見て「あの苔がきれいになった」だの「あの木の葉が今一番きれいだ」だの「あの枝は剪定した方がいいな」だのおじさまの独り言を聞きながら相槌を打つ。「今日のお茶は 甘いな」「どうだ? 今日のお茶は美味しいだろ?」に 首をかしげた(笑)

コーヒーとの出会いは 今は亡き父。
父が家にいる日は 起きた瞬間から 家中がコーヒーの香りだった。
今の火鉢の火に パーコレーターがあって ボコボコ ボコボコ音を立てていた。
時々ふたが押し上げられて カパッと音がし 湯気が舞い上がっていた。
そして これまた時々 お湯があふれ火鉢の灰が舞い上がることもあった。
今考えると その父が飲んでいる姿をあまり見たことが無い。
「葉巻は 人に吸わせてその香りを楽しむものだ」と言う人だったから 家中に広がるコーヒーの香りを楽しんでいたのかもしれない。

そんなコーヒーを よく飲むようになったのは 高校生。
それまで 口にはしたが 好んで飲んだ記憶はない。
名古屋城の端にあった高校に通っていたボク 学校帰りに 名古屋テレビ塔脇にある図書館に寄ることが多かった。図書館に気分が向かない時 図書館が満席な時に寄ったのが これまたテレビ塔近くにあった「ボンタイン」という喫茶店だった。中二階の小部屋の様な席で コーヒーを頼み ノートを広げた。
当時から 今では名古屋名物になっている「モーニングサービス」があったが 時間も時間。しかし ボンタインの親父は「食べるか?」とトーストとサラダと卵を運んできてくれた。時々 ミカンとかリンゴとか柿をもってきてくれたっけ。ありがたかった。
友達を求めて他の店に行くこともあったが コーヒーの味は どこも同じに思えた。
「名古屋コーヒー」というか 今考えると 名古屋の人が好むコーヒーと言うのがあって ほとんどその好みに合わせたコーヒーだったのかもしれない。

高校卒業後東京に来て あちこちのコーヒーを飲むようになって その様々な香りと味の違いを知った。
地方のあちこちから集まった人たちの東京ならではの 様々な好みに溢れていた。

「コーヒーが好きだ」そう言うようになったのは その頃からだ。
コーヒーから伝わる 様々な人を感じるようになったのは 20後半。
美味しいと思うコーヒーもいろいろ。そのいろいろが楽しい。
今では コーヒーの産地も産地(農場)だが その焙煎 その淹れ方のいろいろに出会うのも楽しい。
最近は コーヒーとちょっとしたお菓子との調和を楽しもうと思っているが その店のお菓子が大きすぎたり 両方を良さが引き立つお菓子に出会うことが少ない。よほど気に入ったコーヒーなら お菓子を色々試すってこともあるけれど コーヒーはそれほどのものでもない。小さなお店なら「このコーヒーにお薦めのお菓子は?」と聞けるのだが 「どれでも合うよ~」「家のケーキは みんな美味しいよ~」と返って来て ガクッと来ることが多い。「何言ってんだ この人?」って顔をされることもある(笑) 

香り 一口含んだ時の味 後味 一杯を飲み終わった後の感じ
その日の自身の体調やその日の食事によっても 感じ方は様々。
朝と日中と夜 必ず飲む家では その体調を知るバロメーターと思っている。
ということで 好みのコーヒーで なるべく安定した豆をある程度の期間続けることにしている。
また 家では 余り丁寧に淹れることが無い。だから 適当に淹れてもそこそこ美味しいと思われるコーヒーが良い。
私は マグカップで飲む 何かをしながら飲む だから半分ほどはぬるくなり 1/4ほどは冷たくなる。
そのいずれもそれなりに美味しく飲めるコーヒーが良い としている。

コンビニのカップコーヒーも飲む。
ドトールなどチェーン店コーヒーも飲む。
ポロっと入ったカフェで 余りに口に合わず「ごめんなさい 急用で全部飲めないけど」と一口で出ることもある。こういう時 携帯が普及していることがありがたい(笑)
飲まないのは 缶コーヒーだけ。
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# by jam909jam | 2015-10-30 14:08 | ◆独り言 | Comments(0)