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思い出とラブレターと

e0093537_20211488.jpgこのところ、思い出の場所がやたらに懐かしくなって
さして理由もなく、むしょうに行きたくなる事が多くなった。
それも、ある日、ある瞬間に、突然である。
その日その時、いつもと違う何か特別なことがあった、ということでもない。
そんなに遠くなければ、そして時間があれば、そんな気持ちになったその瞬間に
「行ってみるか~」と車を走らせる。

ただそれだけで、その瞬間に、思い出のシーンが頭を駆け巡るわけでもない。
そこに行ったとしても、別に何をする・・・ ということもない。
また、その思い出に浸るわけでもない。
思い出は、行くまでの道のりで徐々に鮮明となり、様々なシーンが浮かび、それが人ならば、今頃あの人はどうしているのだろうかと思い巡らし、それがこの世にいない人であれば胸が熱くなり涙あふれることもある。


行くまでのそれは、ラブレターを書くことに似ている。
ラブレターというやつは、思いが高鳴り、思いを綴るその行為であり、書いてしまえば、そして、封をしてしまえば、とりあえずは落ち着きを取り戻したりするものだ。
切手を貼り、投函する瞬間のドキドキ感は、相手に送るという行為を全うする勇気を必要とする。
ラブレターを書き、送るという行為は、思いに呼吸が困難になり、その胸に詰まった感情を和らげるものでもある。
もちろん、そのラブレターによって「相手を振り向かせたい」という戦略的な行為は別として・・・。
もし、それが戦略的な行為であれば、投函した後、その結果に不安な時が始まる。

「好き」とか「恋する」気持ちは、とても一方的なもので
つまり、相手の気持ちなど気にしないものだ。
だから、自分の気持ちが伝わればいいことであって
「良い反応を期待しない」ことが、より純粋な行為ではないかと思ったりする。
簡単に言えば「駄目元」なのだ。
そう考えれば、もっと気軽で良いように思うのだが、そうはいかない・・・らしい。
ところで、恋の告白を手紙にするのも、ラブレターと言うのかどうか疑問である。
ラブレターは
もうすでに愛し合う二人がやりとりする、恋心のキャッチボールだと思うからだ。

封筒から何も書かれていない白紙が出てきたら、そこに何を感じるだろう ・・・。
その白紙によって、「言葉に出来ないほどに思い焦がれている」と感じれば
そこには、お互いの素敵な愛の世界がある。

白紙に一粒の涙の後があったら、そこに何を感じるだろう ・・・。
「伝わらない苦しさ」「伝わっていても受け入れてもらえない苦しさ」「会いたくとも会えない苦しさ」「強い感謝」「湧き出る強い愛に感情が抑えられない」 「・・・ ・・・」 情況によって様々である。

シワクチャにされた紙が出てきたら、そこに何を感じるだろう ・・・。

紙いっぱいに名前だけが、いくつもいくつも書いてあったら、そこに何を感じるだろう ・・・。

それぞれに、相手の熱い思いが伝わってくるものだ。
もしかしたら
綴られた言葉より、紙に向った時の相手の気持ちが理解できるのかもしれない。
時に、言葉はむなしく
時に、表現力と理解力の差が、誤解を招いたりもする。


思い出の場所に立った時
思い浮かぶのは
その昔、その場所で展開された映像ではなく
その場所とは全く関係のない人であったり
その場とは関係のない自身の歴史であったり
将来を考える自分であったりする。。。
そして、そのほとんどは、言葉にできない空気感なのだ・・・。
・・・ 「恋心」にも似た。
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by jam909jam | 2008-02-26 20:24 | ◆独り言
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