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カテゴリ:◆独り言( 56 )

オリジナルとスタンダード

  ボクは 高校卒業後 留学が決まっていて 普通に進学しなかった。 しかし 事情があって その留学が無いものとなり途方に暮れて その後どうするか考えなきゃならなかった。 友人は皆進学し いわゆる浪人でもなく ただただ うろうろするばかりだった。 
  そんな時 名古屋の繁華街・栄町地下街にあった画材屋さんが 自社の持つ画廊で展覧会をしてみないかと声をかけてくれた。 急きょ空きになってしまった会場をとに角埋めたい・・・といったことで 制作時間もなかった。「どうしたらよいか?」考えた末 3×6のペニヤを10枚も並べれば何とかなる・・・と 親に相談し ベニヤを購入(名古屋は ベニヤ生産の本拠地でもある)。 ただのベニヤ10枚を庭に並べ どうしたものか? と頭を抱えた(笑) どうしてそうなったのか 覚えていないが 白い石膏を塗りたくり そこに大きな墨流し模様を作りたいと思った。 「偶然に出来る美しさ」に頼るしかなかった。 しかし それも不可能と知り 思い付いたのは 石膏が渇く前に油性のペンキを流すというものだった。 分離しながら出来る模様に感激した。「これだ!!」夢中で10枚を作った。 どうやって運んだのかも覚えていない。 何点か 展示会場で石膏が崩れ落ちてしまったが その崩れた感じも素敵で とても満足だった。 崩れ落ちた石膏は 会場にお願いしてフロアーにそのまま いい空間だった(自己満)
  それがきっかけになって 画材屋さんに可愛がってもらった。 後日 その画材屋さんの紹介で 名古屋駅前のデパートのカバン売り場に机を置き 当時売り出されたコンパクトに収納持ち歩きが出来る布製のカバンの売り出しの一環として お客さまの要望に応えその場でバックに絵を描くというアルバイトをすることになった。 道具は 当時出来たばかりのカラーマジックだった。 スケッチブックに 自分なりにオリジナルの絵をいくつか描いて見本とした。 絵を描いてギャラをいただいた初めての経験だった。 若いってことは 怖いもの知らず 無茶をするものだ。 しかし今考えると よくまあそんな若造に デパートもカバンメーカーも大切な仕事をさせたものだと 驚く。
  次々と 結構な数を描いた。 当時のお客さんは 幸い優しい人が多かった。 ほとんどの人が喜んでくれた。 しかし 今もはっきり覚えている 焦り・上気し・体がこわばり・手が震え 仕上がりに頭を下げた2件の事がある。
  それは 上品なおばちゃまだった。 「パリの風景を描いてくれる?」「え!?パリですか?」「そう どこでもいいわよパリなら」「すみません ボクはパリを知らないので 何か他のものではダメでしょうか?」「ダメ! パリの風景がいいの!」「資料を持ってきますので お時間いただけますか?」「私急いでるの すぐに描いて~!」「凱旋門か エッフェル塔とか・・・」「そう それでいいわ」何となく 写真を見 絵を見ているエッフェル塔の風景 それなら描けるかもしれないと思って描き始めたが 描きながら自分のイメージとも違う 描けない・・・焦った。 でも 手は動いていて どんどんイメージと異なる風景になって行った。 「何描いてるの? それエッフェル塔じゃないわね~」「すみません。ボクもそう思います。やはり描けません」「あはははは 良いわよ~ エッフェル塔って言わなきゃいいんだから あはははは」優しくも 意地悪なおばちゃまだった。
  またある時 小さな子ども連れのお母さんが ニコニコやってきた。 「お願いします。何を描いていただこうかしら」と子どもを覗きこむ「ドナルド~~!」「ドナルドダック? 好きねぇ~ ジャお願いしようね。お願いできますか?」「はい!」ボクもニッコリ元気に応えた。 さて描こうとしたが これがまた どうにもドナルドに程遠い。 イメージはあり 頭にあって 当然描けると思っていた。 しかし ・・・。 子どもが相手 これじゃダメだと思ってカバン売り場の店員を呼んだ「本売り場に行って ディズニーの本を借りて来てよ 急いでよ~!」お客には 正直に言った「描けると思ったけど ドナルドのしっかりした形が解らなくなってしまって 今 本を借りてきますので少々お待ち下さい。描き直しますから」「はい 結構ですよ お待ちします。じゃ ちょっと他を歩いてきます。よろしくお願いしますね」 ホッとした。 しかし「ディズニーの本が無いんです」と店員が戻ってきた。「うっそ~ 無いことは無いだろう」「それが 無いんです」(1960年頃 当時はそんなに無かったのかもしれない)ドナルドを思い出しながら 何度もスケッチブックに描いた。 でも どうしてもドナルドにはならなかった。 涙が出そうになった。 がっかりする子どもの顔が浮かんだ。 お母さんが帰ってきた。 「すみません ドナルドの本が見つからなくて どうにも・・・」「あらぁ~ そうなの~~ ○○ちゃんドナルドがいないんだって 何でもいいわね ね さっき描かれたあれでいいわ」「えっ! あれでいいんですか? だって どう見てもドナルドじゃないし・・・」「いいのいいの ○○ちゃん 可愛いわね これでいいわね」そう言って素早くバックを受け取り「お世話になりました。ありがとうございました。頑張ってね!」とニコニコ立ち去ったのだ。 あの時 ニコリともせず何とも言えない顔を残したあの子に 未だに申し訳ない気持ちだ。


先日 あるTV番組で著名なミュージシャンが笑いながらこう言った。「オリジナル曲はいいよ~ 間違っても聴いてる人に解らない」
オリジナル曲もよいけれど ふっと誰もが知るスタンダードな名曲を個性的にアレンジして聴かせてくれた時 ニンマリ嬉しくなる。
クラシックの人が 何かの時 ポロッとPOPな曲を聴かせてくれる。
JAZZマンが しっとりとクラシックの名曲を演ずる。
Rockなバンドが 突然「スタンド・バイ・ミー」を真面目に演奏し唄う。
誰もが知るものをいつでもどこでも出来る ってのはプロの武器でもある。
著名なミュージシャンが 路上ライブに遭遇し 突然加わって普段の姿と異なる姿を見せるYouTube動画は 嬉しく楽しい。

*写真は借り物
 
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by jam909jam | 2016-06-30 13:18 | ◆独り言

音楽はいいね John Coltrane/Ballads(1962)

新宿・アルタの裏の細い路地。
レストラン・アカシアとジャズ・バーのアカシアがあった。
ロールキャベツで有名だったレストランはご主人 猫のいる細長いカウンターのジャズバーは奥さんが・・・。
そして バーのカウンター後ろに小窓があって レストランと繋がっていた。
おじちゃん おばちゃんと呼んでいたが 当時すでに二人とも結構な年配だった。(1963年頃)
バーに顔を出すと
「コーラね」
お酒を飲まない私に おばちゃんがつっけんどんに言い 
「何かかける?」ネコを抱きながら これまた ぶっきらぼうに言う。
「何でもいいよ おばちゃんの聴きたいので・・・」下手なリクエストをすると叱られそうで そう言うしかなかった。
しばらくすると「コーヒー淹れてあげようか?」
「食べる?」と よくチョコレートやバナナ 季節によってはミカンやリンゴや柿を出してくれた。

「お腹すいた~」と言うと
「ロールキャベツ頼む?」
カウンターの後ろの小窓から出てきた。
たまに「隣で食べといで~!」だったが あれは何だったのか?
・・・ 懐かしい。。。
(レストランは今もあり ロールキャベツも健在とのこと)
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当時 クラシックの「名曲喫茶」シャンソンの「シャンソン喫茶」ジャズの「ジャズ喫茶」などレコードを聴かせる店が多かったのは その背景にレコードそのものが高価だったと言うことがある。もちろん再生機器も高価だった。(1960年初期 コーヒーが¥70 アパートが1畳約¥1,000 学生の親からの仕送りが¥12,000~15,000位 LP輸入盤¥3,000~3,800位だった)
音の良し悪しを問わなければ You Tubeでほとんど聴くことができる現代は パラダイスだ。

コルトレーンをよく聴いたのは
BARアカシアの2階にあったジャズ喫茶「DIG」
よくリクエストされたのはアルバム「Ole」だったように記憶する。
私は この盤「バラード」が好きだった。

この盤には 多くの思い出がある。
若い頃 ぼんやり何も話さないで女の子と夜を過ごす際には ほとんどこれが私の定番だった。
キャッチコピーを考える時 行き詰まると 決まってこれをかけた。
夜中の高速道路を 独り走る時も これだった。
独り 由比ガ浜や佐島マリーナに走り ぼんやり海を眺め 船の明かりを見ながら聴くのもこれ。
ぬるいお湯につかり ゆっくり身体を休める時も 扉を開け放し 大音量でこれ。
子どもを寝かせるお休み音楽にも かけることが多かった。

CD時代になってから 当然のように買い求めたが
もちろん A・B面もなく LPにはない付録の曲も入って 2枚組になっていた。
LPの曲構成も好きだったので 聴くCDには付録曲などを入れていない。
もう 以前ほどそんなに思い入れもないが なんとなくいつも車に積んでいる。
ちょっと疲れた時など 青山・絵画館前の銀杏並木通りに車を止め シートを倒して聴くこともあり
夜 柿生の「ふるさと村」に車を走らせ 街灯に照らされる木々をぼんやり眺めながら聴くこともある。

自身を眺め いろいろに思いを馳せ 身体を休める ・・・ そんなCDになっている。

by jam909jam | 2016-01-04 03:32 | ◆独り言

コーヒーと私 01

私の家は 同居していた母方の祖父がお茶好きだったことと(この人は 和菓子を趣味で作る人で お菓子を食べるためにお茶を飲んでいた とも言える)近くにいた「おじさま」と呼んでいた遠縁の親戚にあたる人が華道と茶道の師匠だったこともあって(私は小さい頃からこの人が好きで 毎日のように顔を出していた) お茶にうるさい我が家だった。家に行くと「先ずは」と縁側に座り お煎茶 お抹茶とお菓子 庭を見て「あの苔がきれいになった」だの「あの木の葉が今一番きれいだ」だの「あの枝は剪定した方がいいな」だのおじさまの独り言を聞きながら相槌を打つ。「今日のお茶は 甘いな」「どうだ? 今日のお茶は美味しいだろ?」に 首をかしげた(笑)

コーヒーとの出会いは 今は亡き父。
父が家にいる日は 起きた瞬間から 家中がコーヒーの香りだった。
今の火鉢の火に パーコレーターがあって ボコボコ ボコボコ音を立てていた。
時々ふたが押し上げられて カパッと音がし 湯気が舞い上がっていた。
そして これまた時々 お湯があふれ火鉢の灰が舞い上がることもあった。
今考えると その父が飲んでいる姿をあまり見たことが無い。
「葉巻は 人に吸わせてその香りを楽しむものだ」と言う人だったから 家中に広がるコーヒーの香りを楽しんでいたのかもしれない。

そんなコーヒーを よく飲むようになったのは 高校生。
それまで 口にはしたが 好んで飲んだ記憶はない。
名古屋城の端にあった高校に通っていたボク 学校帰りに 名古屋テレビ塔脇にある図書館に寄ることが多かった。図書館に気分が向かない時 図書館が満席な時に寄ったのが これまたテレビ塔近くにあった「ボンタイン」という喫茶店だった。中二階の小部屋の様な席で コーヒーを頼み ノートを広げた。
当時から 今では名古屋名物になっている「モーニングサービス」があったが 時間も時間。しかし ボンタインの親父は「食べるか?」とトーストとサラダと卵を運んできてくれた。時々 ミカンとかリンゴとか柿をもってきてくれたっけ。ありがたかった。
友達を求めて他の店に行くこともあったが コーヒーの味は どこも同じに思えた。
「名古屋コーヒー」というか 今考えると 名古屋の人が好むコーヒーと言うのがあって ほとんどその好みに合わせたコーヒーだったのかもしれない。

高校卒業後東京に来て あちこちのコーヒーを飲むようになって その様々な香りと味の違いを知った。
地方のあちこちから集まった人たちの東京ならではの 様々な好みに溢れていた。

「コーヒーが好きだ」そう言うようになったのは その頃からだ。
コーヒーから伝わる 様々な人を感じるようになったのは 20後半。
美味しいと思うコーヒーもいろいろ。そのいろいろが楽しい。
今では コーヒーの産地も産地(農場)だが その焙煎 その淹れ方のいろいろに出会うのも楽しい。
最近は コーヒーとちょっとしたお菓子との調和を楽しもうと思っているが その店のお菓子が大きすぎたり 両方を良さが引き立つお菓子に出会うことが少ない。よほど気に入ったコーヒーなら お菓子を色々試すってこともあるけれど コーヒーはそれほどのものでもない。小さなお店なら「このコーヒーにお薦めのお菓子は?」と聞けるのだが 「どれでも合うよ~」「家のケーキは みんな美味しいよ~」と返って来て ガクッと来ることが多い。「何言ってんだ この人?」って顔をされることもある(笑) 

香り 一口含んだ時の味 後味 一杯を飲み終わった後の感じ
その日の自身の体調やその日の食事によっても 感じ方は様々。
朝と日中と夜 必ず飲む家では その体調を知るバロメーターと思っている。
ということで 好みのコーヒーで なるべく安定した豆をある程度の期間続けることにしている。
また 家では 余り丁寧に淹れることが無い。だから 適当に淹れてもそこそこ美味しいと思われるコーヒーが良い。
私は マグカップで飲む 何かをしながら飲む だから半分ほどはぬるくなり 1/4ほどは冷たくなる。
そのいずれもそれなりに美味しく飲めるコーヒーが良い としている。

コンビニのカップコーヒーも飲む。
ドトールなどチェーン店コーヒーも飲む。
ポロっと入ったカフェで 余りに口に合わず「ごめんなさい 急用で全部飲めないけど」と一口で出ることもある。こういう時 携帯が普及していることがありがたい(笑)
飲まないのは 缶コーヒーだけ。
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by jam909jam | 2015-10-30 14:08 | ◆独り言

車と私

私が乗ってきた車の中で
これに乗りたい これが欲しい と購入したのは
ブルーバードSSSクーペ
バモスホンダ
クラウンクーペ
いすゞ ビッグホーン
この4台だけだ。

後は その時の成り行き
たまたま 車の調子が悪くなって とにかく即次の車を決めなきゃならなかった とか
ぶつけられて 修理代がかかりすぎるから とにかく何かに乗り換えよう とか
雪の塊につっこんで やはりその修理代より買い換えた方がいいや とか
たまたま 友人が手放すというので じゃあ と買い受けたとか
楽器が運べる大きさじゃなきゃ とか
ビッグホーンは 排ガス規制で車検が取れず 手放すという特例だった。
そして たまたま 修理屋さんから勧められて レガシーに乗った。
その時のフトコロ具合 家族 仕事 その時の買得の車 で決まった。
特に 仕事では クライアントに気を遣い 仲間にも気を遣って
この程度だな~と妥協することが多かった。
「分相応」がモットウだった。
新車なら誰もが知る高価なものでも 中古なら・・・だった。
「高級車に乗ってますね~」
「いや~ 中古のボロ車です」 ・・・ と笑って終わり。

今まで 結構いろんな車に乗ることができたのは
仕事場に あれこれ面白い車があったこと
周りの友人(親しい友人)に 恵まれていたことが幸いした。
かなりいろいろを所有する 車好きの友人も多かった。
「しばらく 交換するか~」とか
「1週間くらい乗ってみる?」とか
〇〇に行く と言うと「俺の車乗ってくかい?」
・・・ なんてことが多かった。
同行すると 何故か運転手にさせられてしまうといったこともあったし
会う度「私の車で行かない?」となって その人の車を運転する
なんてことも 多かった。
ジャガーとかカマロとかメルセデスとかプジョーなどがそうだった。

チョイ乗りで 思い出すのは ロールスロイス。
当時 業界でも車好きで有名だった某男優から 撮影のために借りた車だった。
バックの景色との関係で ちょこちょこ動かさなきゃならず
乗ってきた運転手がなかなか良いところに停めてくれない。
イライラしていたら 「なかなかいうことを聞いてくれない車でしてね。動かしてみますか?」
となって 近くをその運転手とドライブしたのだった。
「大丈夫大丈夫」とは言われても 心臓バクバク 冷や汗が出た。
乗せてもらう車で 運転する車じゃないと はっきり解った。

いろんな車に乗っただけではなく 事故の経験を始め
車にまつわる 様々なドラマがあった。

後 10年 健全な身体でいられれば運転するかもしれない。
最後に乗る車は 何がいいだろう?
少なくとも 成り行きではなく乗ってみたい車にしたい。

◆----------------------------------
「私の車歴」 1968~2014  (Facebookに掲載済)

< My Car >
ブルーバード・スタンダード(コラムシフト)(新)
ブルーバード・SSSクーペ(新)
ブルーバード・SSSクーペ(新)
バモスホンダ(新)
VW・カルマンギア(中古)
クラウン・2ドアクーペ(中古)
(このクーペが素晴らしく当たりが良かったため 中古でいいじゃないかとなった)
グロリア(中古)
いすゞ・ビッグホーン(新)
スバル・レガシー(中古)
グロリア(中古)
クラウン(中古)

e0093537_17103462.jpge0093537_0195466.jpge0093537_1713060.jpgブルーバードSSS
クーペ
色はもう少しブラウンぽかったような気がする
横にオレンジのラインを入れていた。



クラウン・クーペ MT
色は モスグリーン
屋根が黒の革貼りだった。




いすゞ ビッグホーン・ロング
タイヤは 勿論ラフ用
バンパーに
丸大型フォグランプを付けていた。






< 1ヶ月~? 乗った車 >(仕事場・一時預かり)
VW・ビートル
VW・タイプ2(ミニバス)
スカイラインGT
カローラ・レビン
シボレーカマロ
イノチェンティ・Mini
ジムニー
ダットサン・ピックアップ
BMW 320
メルセデス 320
ホンダ ステップワゴン
プジョー406

< 2~10日程 乗った車 >
三菱・コルト500
フィアット600(東京オリンピック輸入車)
オースティン・Mini
日産・チェリークーペ(発売広告制作)
ブルーバードU(発売広告制作)
アルファロメオ
ジャガー
シトロエン
フォード・ムスタング
Jeep チェロキー
トヨタ・ランドクルーザー
日産・サファリ
三菱・パジェロ
三菱・デリカ
トヨタ・アルファード

その他レンタカーなど?
チョイ乗り?

◆こよなく愛したMyCar
 ブルーバードSSS 2ドアクーペ
 クラウン 2ドアクーペ
 いすゞビッグホーン
◆走行的に面白く 欲しくなったのは
 ムスタング
 イノチェンティMini
 プジョー406
◆流石と思ったのは
 メルセデス
 カマロ
◆乗ってみたいと思いながら 乗っていない車
 ボルボ カントリー
 レンジローバー
 ポルシェ ボクサー 
◆----------------------------------

by jam909jam | 2014-03-05 17:25 | ◆独り言

カウボーイの馬のように

僕は 車が好きだ。
車そのものではない。
車に乗っていること 車を動かしていることが好きなのだ。
そして 道を感じることが好きなのだ。
だからなのか 車に対して あまりこだわりがない。
もちろん この細身の身体に伝わる動き 感覚は車によって異なる。
その違いまでも 好きなのだ。
だから いろんな車に乗りたい。動かしたい。
しかし 現実はそうもいかず 今まで何台かの運転しかしていない。
マイカーとなれば 数える程だ。

この運転好き(とでも言っておこう)になったのには 背景がある。
母方の祖父が警察官だったので 白馬にまたがりサーベルを下げた写真が
たまらなくかっこよく見えていた。
白馬ではなかったが 子供の頃 家には馬車が燃料を運んできていた。
そのでっぷりとした 足の太い馬も それはそれでなんとも可愛く思え
その馬に会えるのが楽しみだった。
その度 馬車に乗せてくれて 近所を一週した。それが嬉しかった。
また 近所に馬を飼っている人がいて シャキッとしたおしゃれな格好で 馬にまたがっていた。
馬を操るその裁きもかっこよかった。
商店街でも見かけたので 馬で買い物にも行っていたのかもしれない。
「馬に乗りたい」「馬を飼いたい」子ども心にそう思っていた。
父に何度か頼んだが 当然のように実現しなかった。

一方 その頃 映画といえば「ターザン」「西部劇」だった。
西部劇といえば 友達のみなガン裁きに憧れ 木製のピストルを作って早打ちの真似をして遊んでいたが
僕は カウボーイの馬裁きに夢中だった。
雑木林の中を走れば もう馬でかけている気分で草や小川を飛び 枝を潜った。
自転車も 僕には馬だった。
だからかもしれない 毎日のように油をさし 綺麗に拭いていた。
いつも ピカピカの自転車だった。

小学校高学年から高校まで そんなことも忘れていたが
高校でバイクの免許を取り バイクにまたがって蘇った。
おお~ 僕の馬だ! そう思った。
東京に来て バイクはなく また しばらく忘れていた。
でも よく考えると 時々参宮橋の東京乗馬倶楽部を覗きに行ったりしていたようだ。
それなら 何故乗馬クラブに入らなかったか? なのだが
当時 乗馬クラブというと競技乗馬というか 馬を形にはめている感じがして
どうも抵抗があった。カウボーイのそれではなかったのだ。(今もほとんどがそうだよね)

24歳 週刊誌の仕事で毎週ロケ先を決めなければならなくなり
それは もちろん自分で探さなければならなかった。
電車では そんなところも探せる訳もなく 車が必要 となった。
慌てて 教習所に通い 免許を取り 車を買った(親に買ってもらった)
当時は まだコラムシフトが主流だった。
最初の車は 教習所でも乗っていたブルーバード・スタンダード(コラムシフト)だった。
その後 雑誌の仕事が増えたおかげで ブルーバードSSSクーペを購入。
当然 フロアシフト。
この車に乗って 蘇った。 「これが 僕の馬だ」久々にそう思った。
そうなれば 駆け回りたい。
で ラリーを始めた。(縁もあって)
このラリーで いろんな道を走るようになって 
様々な路面 カーブ 道と車 ・・・ 道に対して車を操る面白さに夢中になった。
東京近辺でラリーが出来なくなって 寂しくなった。
馬のように 川の中を走りたい 山を走りたい 道なき草原を走りたい
それは スキーを始めたことがきっかけになって 実現した。
タイミングも良かった。 4躯の車が何台か市場に出始めたからだ。
ISUZUビッグホーンに乗った時 「これこそ僕の求めていた世界だ」と歓喜し はしゃいだ。

ハワイ島(ビッグ・アイランド)のワイピオ渓谷でホースランディングをした時
僕は幸せだった。
やっと 馬を操って 自然の中を 道なき道を 枝枝を潜り 小川を走り 海辺を走ることができたのだった。
海辺で 馬を降り 休憩しサンドイッチをほうばった時
「お前は 日本で馬に乗っているのか?」
「いや 2・3回乗ったくらいだ」
ガイドが 両手を肩辺りまで揚げ 目を大きく開けて笑った。
・・・初めてなんだよな でも そうだ 馬は僕の言うことを聞いてくれている
乗る前に よろしくねって 馬のほほと鼻筋を撫でて ちゃんと挨拶したからかなぁ~
・・・なんでだろ? 西部劇で教わったのかな~ それとも犬のリードで覚えたのかなぁ~
嬉しかった。
・・・きっと 僕の車が馬だからだ。 そう思った。
「命を感じる機械」

しかし 最近 なかなか 車で自由に走る機会(場所)がない。
当然 馬に乗る機会もない。
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↑ 今 My Car にしたい車No.1  RANGE ROVER EVOQUE
by jam909jam | 2014-02-28 02:29 | ◆独り言

ワイルドな私だったかも

高校は 名古屋城の堀端にあった。
その堀の中には 電車(瀬戸線)が走っていた。

学校近くに試験場があったため バイクの免許を取った。
当時 バイクの免許実地試験はスクーターだった。
富士重工の作る「ラビット」
当時 家にあったのは 三菱重工の作った「ピジョン」
練習は このピジョンを近くの広場か無免許で近所を乗り回すことだった。
下駄履きで弟を後ろに乗せ 家の路地をボボボボっとメインの道に出た途端
自転車でやってきたお周りさんと出くわし 「おいおい」とこっぴどく叱られた覚えがある。
現在と違い ただただお目玉だっただけだった。

ピジョンはラビットより大きく重かったためか
試験は2回落ち 3回目にやっと受かった。
狭い急坂を上がり ターンしながらすぐ下り坂でS字カーブ
いつもそのS字を直進してしまうことで 終わりだった。

免許を取った頃 ピカピカのHONDAドリーム250があって
なのに何故か 親父はいつもピジョンだったので もっぱら私が乗っていた。

当時 バイクを乗る若者は「カミナリ族」と呼ばれていた。
「カミナリ族」と言うとなんだか怖いが 「暴走族」とは異なり
名古屋の「カミナリ族」と呼ばれる人達は 芸の見せやっこが主だった。
名古屋テレビ塔のある100m道路 テレビ塔の近くにバイク乗りが集まり
手放し乗り 腹ばい乗り 後ろ乗り・・・などなど見せて 見てる方は「おお~!」と拍手。
今思えば 可愛い「カミナリ族」だった(笑)
ちなみに 私はそんな曲乗りなど出来ず(しようとも思わなかったが)2・3回見に行っただけだったが。

バイクに乗ることに 父は反対で 免許を取ったことにも怒った。
だから 乗るのは 父のいない時と限られていた。
学校にも乗って行って(乗る人もいなかったので 特に禁止でもなかった)
すると 先生が「ちょっと乗せてくれないか」(笑)
授業後 校庭を代わる代わるクルクル・・・なんて感じだった。

休みの日 ガールフレンドを後ろに乗せて走る。
これがたまらなく 嬉しかった。
映画の主人公にでもなった気分だった。
ヘルメットの使用は義務付けられていなかったので
女の子のポニーテイルの髪が揺れ 横座りのスカートが旗のようになびいた。
(白地に明るいグリーンの大柄の水玉ワンピースをよく覚えている)
自分は運転しているので その姿を見られないが 走りながら「絵になるだろう」と得意になっていた。
日舞のお稽古に通う彼女を 家まで迎えに行き 稽古場まで送る。
・・・ 後ろに乗せるのは その子一人と決めていた。
それが きっかけでもないが その後 彼女と結婚。女・男2児をもうけた。
(申し訳ない 彼女は 今も良き友である先妻である)

・・・と 序文が長くなったが
バイクのことである。
当時 バイクそのもののスタイルは そんなにかっこいいとは思っていなかった。
あの頃 こんな(写真)バイクがあったら 人生も変わっていたかもしれない。
これを見たら これを手に入れるために頑張ろうとしただろう。
後ろに 女性を乗せることも考えなかっただろう。
なんてワイルドな姿だろう。
・・・今更惚れても どうにもなることでもない。
・・・「今更惚れても」は バイクに限ったことでもない。
ちょっと寂しい風が吹く このごろ。。。

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http://www.so-bad-review.com/
by jam909jam | 2014-02-26 23:43 | ◆独り言

あの頃 私は生意気だった。

東京タワーのすぐ脇の丘の上に建つ 某社団法人マーケティング・アドバタイジング・プラニング事業部を経て

フリーになり 男性週刊誌のメンズファッションページのADを務め

27歳で 原宿の外れに お店とアトリエを作った。

その頃の資料が どこかにうもれてしまい。

というか 27~32歳くらいの私の足跡は 見事に消えてしまっている。

あまり気にしていなかったが 最近になって 消えてしまった足跡がどうにも寂しい。

もう この歳になったのだから(71) そろそろちょっとまとめておきたい ・・・ という気持ちも芽生えている。

・・・ そんな最近になって たった1枚(もっと何枚もあったはずだが)見つかったもの

お店の開店案内。

薄いブルーの厚紙に コバルトブルーとグレイで刷られたもの。

大型はがきのその表に 屋号・住所・地図があって 店の写真もイラストもない。

ただただ 気持ちを書いた 文章だけの案内状。

しかし 私の気持ちが通じたのか 開店の日 入りきれないお客様が道路にあふれた。

少ないメニューの食べ物の注文に パニック。

「どうしよう?」

その時 

ごった返す人をかき分け 入ってきた男がいた。

大きな声で 「どけよ!!」

腕まくりしてカウンターにずかずか入ってきたのは 千駄ヶ谷にあったお店のマスターだった。

溜まったオーダーを黙々と作った。

その脇で ボクは 声を出して泣くしかなかった。

「食器でも洗ってろよ!!」 「お客と話でもしてろ!! 邪魔だ!」

彼がカナダに移住して ・・・ 随分になる。
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by jam909jam | 2014-02-15 19:21 | ◆独り言

お正月って

e0093537_0485023.jpg「喪中だから お祝いごとはしないんだよね だから今年は年賀状もなし」
「うん そうだね」
軽く 当然のように応え そうか~ お飾りもしめ縄も何もなしの正月か~
だった。
で 普段と変わらない ちょっと寂しい元旦を迎えたが
ふと 昔 祖父の言っていた言葉を思い出した。
「門松は やってくる神様への印 いらしてくださいって招き入れるためのもの」

そうだよな~
いつの間にか「お正月を祝う」という気持ちだけになっていたけれど
カウントダウンをし 新年を喜び 祝うの他に
お正月には「年神様」を迎え入れるという 大きな意味が有り
そのための儀式があったんだよな ・・・ と今更のように思い当たり
ああ 今年は「年神様」に何もしなかったなぁ~ と後悔した。


子供の頃のお正月を振り返る。

12月15日頃から 家の中のいろいろを片付け始め 20日ころから大掃除が始まった。

12月25日になると 正月の準備が始まる。
まずは 障子貼りだった。 障子を近くの小川に運んで洗い。
次の日 新しい障子紙を貼る。
また 燃料が運び込まれ その整頓と家の外周りの清掃がボクの主な仕事だった。
祖父といっしょに 門松としめ縄の準備もした。
母・祖父が 台所で大忙しだった。(祖父が料理長だった)
きれいに掃除され 日常使っていた古い食器やなべやフライパンなどがまとめられ
新しいものが運び込まれた。
縁の下に収納してあった大皿など普段見ないような食器が出され 綺麗に洗われた。

12月30日 ボクは 鳥屋さんに肉屋さんに八百屋さんにと朝早くからお使いに走り回った。
その日は 決まって親戚の人たちが家に集まり 餅つきだった。
朝早くから人が押し寄せ さあ お正月だ! と大変な賑やかさだった。
みんな おせち料理作りにも忙しそうだった。
つき上がったお餅とおせち料理の何かしらを持って 親戚が帰る。
火 水 のもとにしめ縄とお餅が飾られる。門松 しめ縄が玄関に飾られる。
決まって 家に泊まり 31日の朝帰る人もいた。
30日の夜は お酒の入った男集が麻雀を始める。
ボクは 夜遅くまで お酒のかんを付けて運び お茶を入れて運び 席を外す人に代わって麻雀牌を混ぜ積み上げた。

12月31日 家族だけになる。
昨日の騒ぎは何だったんだろう? という静けさに包まれる。
お正月準備で 散らかったものを片付け 今一度外回りを掃除する。
昼は寿司 夜はすき焼き ・・・ の途中で「紅白歌合戦」
「行く年来る年」が始まると 年越しそば(もうお腹いっぱいで 蕎麦も口に入らないほどだった)
すると 祖父 父 が外出する。(初詣に出かける)

元旦 家中開け放され その寒さで起きる。
朝日に挨拶 火 水 の守り神に挨拶。
家族集まって 父の新年の挨拶 そしてひとりひとり新しい年の心構えを発表する。
「長編の本を読みます」なんて言うと 「頑張れ」とお年玉が渡される。
おとそ そしてお雑煮 おせちの蓋が開く

2日の朝は やはりお雑煮の後 書き初めで始まる。
そして 午後の3時はぜんざい。
かるたをし 福笑いをし 双六をし みかんさしをし 将棋倒しをし 碁並べをし
・・・ コマを回し 凧揚げをし ミカンを食べ 干し柿を食べ 焼き餅を食べ お菓子を食べ
2日と3日は またまたお客が来て賑やかな日になり
おしゃべりと笑い声で家がはちきれそうな三が日が過ぎる。
・・・ 毎年 毎年 同じパターンが繰り返されていたが
その全てが 楽しみだった。


今日は 孫たちが来た。
わいわいと賑やかにすき焼きを楽しんだが 夜 スキーに向かうと言う。
私も スキーをやっていた何年か お正月は全く東京にいなかった。
そのため と 年賀状も長年ご無沙汰だった。
子供たちにも 家でのお正月を体験させられなかった。

正月とは何か 新年を迎える意味 そして新年をどう迎え どう祝うか
伝えることは伝えなきゃならないなぁ~ と
改めて思う。


新らしい下着
新らしいご飯茶碗
新らしい箸
新らしい歯ブラシ
少なくとも 元旦に欲しいもの・・・・。
by jam909jam | 2014-01-03 00:51 | ◆独り言

元旦

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2014年は iPhoneで始まった。
まだ 電話に出るのもまごつき メールにすぐ返事が出せないでいる。
持ってみて まず驚き 嬉しかったのは高音質になったこと
FaceBookを ふと思い付いた時に見られること
・・・・ 何はともあれ 画面を開いてなんだかウキウキすること
しかし 道具として うまく使えるまでには しばらく時間がかかりそうだ。

喪中の我が家だが とにかくお節を前に お雑煮を頂き
なんとなく TVを観て(着けていただけだったかもしれない)
お昼を食べていると 妻の妹から電話が入った。
で 義妹夫婦と落ち合って 妻の両親が眠る墓参りに出かけることになった。
場所は 小田急相模大野からちょっと離れたところ 思っていたより暖かな日だった。

帰り道 さてどこかでコーヒーでも と思ったが
やはり 元旦 思い浮かぶ店のその全て まさか元旦からやってはいないだろう だった。
相模原のあの店 やってないだろうけど 行ってみるか ・・・ 休みだ~
うっへ~ なんだこの渋滞?
そっか~ きっと鶴川街道の菅原神社への初詣客で混雑してるんだ~
普段でも あの神社の交差点 結構渋滞するだよなぁ~
町田市役所を抜けて 迂回しよう
そうだ それなら 玉川学園のあの店行ってみよう ・・・ ああ やっぱり休みか そうだよなぁ~
じゃあ 金井に車の停められる「オランダ坂珈琲」 あそこならやってるだろう ・・・ おお やっぱりやってた~
でも 待てよ かなり混んでるようだなぁ~ とお店に入る。 
レジ前の椅子に 入店待ちのお客が10人ほど 「どうぞ そちらにお名前をお書きになってしばらくお待ちください」 
言われるままに記帳し 外で待つ(椅子に並んで待つというのが どうも苦手なのだ) ところが しばらくしても帰るお客がいない。 待つこと約20分 一向にレジ前に座って入店を待つ人の数も減らない。 
やめよう! 記帳した名前を消し 店を後にした。

こうなると 意地でも どこかに入りたくなる。
しかし ファミレスに入る気にもなれず じゃあ 鶴川の「星野珈琲」だなぁ~ と車を走らす。
ん? なんだ? 休みかぁ~ ここはやってると思ったのになぁ~

もう あたりは暗くなっていた。
いつの間にか ヘッドライトをつけて走っていた。
あれ? いつつけたっけ~ とバカな自問自答。

どうする?
もう 夕飯をどうする? の時間になっていた。
何か食べる?
待てよ そうなると またお店探しになってしまう。
ここまで来たら もうすぐ家 「家で コーヒーにするか~」

iPhoneが鳴っているのに気づく
家に残したのっぽの息子からの電話 「どこにいるの? 夕飯はどうなってる?」
「新百合近くにいる もうすぐ帰るよ」

・・・・・ 。。%&$”)’~#$
かく 元旦の日は暮れた。
by jam909jam | 2014-01-02 01:13 | ◆独り言

悩むなぁ~

e0093537_015284.jpg「携帯使用料金が高すぎない?」
かみさんに言われながら 「仕方ないだろう それだけ使ってるってことだ」と気にもしていなかった。



待てよ 周りの若者は ほとんどスマートフォン しかも 通信料など気にしていないように WEB繋ぎ メールし 会話し ガンガン使っている。

で ちょっと聞いてみた。

「そんなに使って 使用料気にならない? 大変でしょ」
すると 「須田さんは 月にどれくらい払ってるんですか?」 逆に聞かれた。
「〇〇円位いらしいよ」
「うわ~ すごいですね そんなに払っていませんよ」


「・・・・・・・・ ???」 事の始まりは この会話だった。

Docomoショップに立寄り 「何だか 料金がかかり過ぎてる感じなんだけど どうしたらいいか相談に乗って頂けませんか?」 と投げかけた。
「お客様の契約は 7年前ですね」
「ちょっと 使用状況を調べてみます」
「ああ これは ご契約範囲を大幅に超えていまして そうしますとどうしてもこのような状況になります」
「ご契約内容を 変更なさった方が良いかと・・・・」
と あれこれ 計算し おすすめの契約内容が示されてびっくり 「えっ! そんなに安くなるの?」だったのだ。
・・・ そうか 7年前と今とでは 携帯の使用頻度も違う。 使い方も違う。 携帯状況 自身の使用環境の変化・・・ 当然 その時々に契約内容の見直しはすべきだった。


そうなると このところ 自身に大きな変化がある と気づいた。

「あれどうだっけ?」 「こういうので何かあったよな」 
ボクの独り言に すぐさま 近くの若者がスマホで調べる・・・といったことが多くなったのだ。

ってことは 自分がスマホを持つべきか?
ん? それとも タブレットか?
さて どうしよう どうしたらよいか?
スマホか 携帯とタブレットか?
・・・ これも 相談事になった。

1) このまま 契約内容を吟味する。
2) スマホで全て賄う(この場合 画面の大きなものが良い)
3) 携帯とタブレット
* 携帯は 電話とメール  スマホ又はタブレットの必要性はWEB
WEBに関しては 自宅のPCを活用している つまり 外での使用頻度が問題だ。
これが悩ましい。 外といっても 私はほとんど車。 使うとすれば ティータイム。 ティータイムは 1日に2・3度くらい。電車にでも乗っていれば その時間にいろいろ使うだろうが そんなに使用頻度は高くない。 しかし もちろんあれば便利だし 頻度は少ないが結構重要な使い方が想定される。
やはり 持った方がいいだろう・・・。となった。
料金を試算してもらった。 が これがまた悩ましい。 大きな差がないのだ。


じゃあ もう一つ SoftBankに乗り換えたらどうなるか?
と 今度は SoftBankショップに立ち寄った。
結果 これがまた悩ましい。
料金設定のスタイルが全く異なるのだ。
基本料金が Docomoとは 全く違って安い。 しかし 通話料が加算される。
但し SoftBank対SoftBankならほとんど無料。


これは DocomoもSoftBankも同じようなことが言える。
つまり 自分だけではないのだ。 相手が何を使っているか?で料金が大きく異なってくる。
そんなの解らないよ~~ なのだ。
Docomoの調査によれば 過去の私の相手は Docomo使用者20%。
80%が他機種(そのほとんどがSoftBankに違いない)
じゃあ 悩むことはない SoftBankでしょ ・・・ それでいいのだろうか?

結局は 試してみるしかない ・・・・ のようだ。
よし! と 3日前に予約したDocomoでのタブレットをキャンセルし もう少し考えてみることにした。
携帯 / スマホ / タブレット / PC ・・・・ この組み合わせ
仕事現役の頃なら 全く悩まないが それぞれ重要でありながら その頻度が少なくなった今 納得できる料金体系で何をどう使っていくか? ・・・・ 実に悩ましい。 


ちょっと 面白かったのは ショップの対応
Docomoは アナログ ・・・ 紙に手書きで説明
SoftBankは 全く手書きすることなく タブレットの画面を示して説明
・・・・ これは 何を意味するか?
帰り見た私の手元に残された資料は どちらもどちら 「あれ? これ何だっけ~」(笑)
by jam909jam | 2013-12-12 01:05 | ◆独り言